こんにちは。シオタニアキラ(@akiraaaaa_man)です。
考え方が好きな人の発信を読んでいても、時に「あ、ここは自分とは違うな」と感じることがないですか?
違いがあるとき、どちらが正しいかで決着をつけようとすると、そこで話が終わってしまいかねませんが、違いがあるという事実から、自分が何を大事にしているかに気づくこともあるんですよね。
昔の僕は、考え方が好きな人やリスペクトする人の意見を聞いたとき、そのまま受け入れるか、「僕にはできんわ」で終わっていたこともありました。相手の答えを、丸ごと受け入れるか、逆に丸ごと捨てるかという感じでしたね。
今の僕は、考え方が好きな人の発信を、禅問答のように読んでます。
書かれていることをそのまま答えとして受け取るんじゃなく、「で、お前はどうなん?」って返されている感覚です。
相手の考えを否定するためでも、自分の考えを押し通すためでもなく、自分が何を大事にしているかを確かめるための問いなんです。
相手の意見に同意するかどうかよりも、その問いを自分がどう受け止めるかが、けっきょく自分の在り方を見直す機会にもなってます。
思考停止で「尊敬する人が言うなら」とすぐになんでも鵜呑みにしてると、どこまでが自分の意見なのか、どこからが受け売りなのかわからなくなるじゃないですか。
丸ごと受け入れるか捨てるかだけで終わらせずに、「自分にとってはどうなんやろ」と問い続けられること自体に、意味があるんじゃないかと。
そうやって、気になる意見に対して自分でも考えることを繰り返していくうちに、同じ意見でも、受け取り方は徐々に変わってきます。読んだ直後の答えがどうだったかより、そのあと自分の中で何を考えたかのほうが、残っていくものも違ってくるんですよ。
考え方が好きな人の意見だからこそ、こういう違いは余計に気になるもので。
本人に「それは僕(私)は違う」と直接伝えることをしなかったとしても、そういう経験ってないですか?
つい最近も、考え方が好きな相手との間で、ちょうどそういうことがあったんです。
この記事を書くきっかけになった出来事
オンラインサロンや、個別のコンサルをしていて、その場を退会や卒業などで離れていく人について、先日このような投稿をしたんですが。
共に過ごしてきた時間がある人を、いてもいなくてもいい存在だとは思えません。退会すると聞けば、僕にもっとできたことはなかったかな、とやっぱり考えます。本人が何を考えてその決断をしたのか、本当のところは本人にしかわからないし、辞めたあとにうまくいくかどうかも、本人次第です。だから、引き止めることが正解だとも思いません。
寂しくないかと言われたら、そりゃ寂しいです。一緒に過ごしてきた時間がありますから。それでも、本人が決めたなら、その選択は尊重したいと思っています。僕のところじゃなくてもいい。誰かの力を借りてもいいし、別の環境に行ってもいい。その人がまた前に進んで、いつか成長した姿を見られたら、それはそれでうれしいなと思います。
その投稿を引用する形で違う視点の意見をもらいました。
自分のところ以外にこれほどの環境はない、と言えるくらいの覚悟がなければ人は変わらない。コンサルとして人に関わるなら、そこまでの覚悟を持っている、という考え方でした。価値観や行動のペースが合わないまま離れていくのは、それはそれで仕方がない、ということも書かれていました。
目的は同じでも、僕が覚悟を置いているところが少し違うのかな、と感じました。その後、僕も返信をしたんですが、このやり取りをきっかけに、自分の中にあったものを、あらためて言葉にしておこうと思ったのが経緯です。
覚悟の置き場所
これは、自分が甘いとか、覚悟が足りないという話だとは、今も思っていません。
僕にも、「ここにおったら絶対成長させたる」というくらいの気持ちはあります。人を変えるために、自分が持っているものを出し惜しみせず使う。自分のリソースをフル活用して、足りないところはリソースを磨いたり、人に相談したり、聞いてみたりもして、なんとかその人の可能性を伸ばしたいと思っています。
ただ、最終的に変わる、決断して動くのは本人です。
誤解がないように伝えておくと、自分のリソースをフル活用することと、最終的に動くのは本人だという考え方は、矛盾する二つではなく、同じ関わり方の中にある、ひと続きの考え方というのが僕の持論です。
自分がどれだけ本気で関わるかということと、相手がその先で何を選ぶかということは、もともと別のことなので。
関わっている間は本気で向き合う。その上で、その先どう動くかまでは握ろうとしない。そこを分けて考えられるかどうかで、関わり方の中身がずいぶん変わってきます。
ただ、相談相手が僕じゃなかったとしても、コンサルを受けるのであれば、まずは提案を受け入れるのがいいですけどね。
だって、今までの自分のやり方でうまくいかなかったからコンサルを受けるわけですし、「でも、だって、どうせ」みたいに言い訳をしてやらない選択ばかりをしてるならコンサルなんて受ける必要ないですからね。
話がちょっと逸れましたが、自分のところを離れても、別の誰かと出会って前に進めるなら、それもいいと僕は思うんですよ。辞めた後にどう変化していくかも、その決断に込めた本人の意図も、本人にしかわからないし、本人次第じゃないですか。
自分は自分を磨くしかないし、そこに価値を感じてくれる人と向き合うしかないんです。
とはいえ、離れたあとにすごく成長していたら、悔しいなとは正直思います。(どっちやねん)
きれいに割り切れているわけじゃありません。それでも、その悔しさがあるからといって、本人の選択を無理に引き止めようとは思わないんです。「惜しいなぁ、もう一息なのに」って思うことはありますけど。
最後に選ぶのは本人だと思っているからこそ、今、自分を選んで来てくれている人にどう応えるかも、大事にしたいんです。
今ここを選んでくれた人へ
ここってどこやねん、ってなる人もいるかもですが、たとえば、このブログを読んでみようというのもそのひとつです。
「ブログを読む」だけじゃなく「オンラインサロンに参加する」とか「コンサルを受けてみる」と決めて来てくれる人がいる以上、そのアクションを当然のことと思わず、常にどうしたら選んでもらえるか、どうやったら選んでくれた人の背中を押すことができるか考えて、行動を変えていくのも僕の仕事(タスク)のひとつです。
選ぶのは本人だと思っているからこそ、今ここを選んで来てくれている人にも、ちゃんと応えたいって思うんですよね。
目の前にいる人とちゃんと向き合って、自分が持っているものを渡していく。そのことを、僕はこんな言葉で(先ほどの投稿のやり取りの中で)書きました。
「ここに参加する」と決めて来てくれる人がいる以上、その人たちに「ここにいてよかった」と思ってもらえるように、自分も磨き続けないといけない。僕は、そこに覚悟を持っていたいんやと気づきました。
上記は僕が書いたもので、僕の元投稿を引用してくださった方の覚悟は、少し違ってました。
でも、その方の在り方は僕は好きです。ただ、僕の覚悟を置く場所が違ってたというだけで。
今回は、意見の違いがあっても、それを抱えたまま、こうしてやり取りができました。それだけで、「オレも成長したな」と、少し感慨深くなりました。(大袈裟かw)
違いを考えるきっかけをくれたことに、相手の優しさを感じましたね。
後から読んだ文章とつながったこと
この一連の気づきを言葉にしようとしていたところに、その方が書いたブログの記事が流れてきました。
違いを考えることが、自分の判断や価値観を知る材料になる、という内容でした。先に自分が考えていたことと、別の角度から言葉にされたものが、つながっていました。
人の意見や考え方を借りることについては、以前にも、僕自身の記事で書いたことがあります。
自己流でうまくいかない。でも、マネはしたくない|「型」を借りて自分に戻す考え方
発信の構成を学ぶことと、他人の言葉や結論をそのまま使うことは別だ、という話です。型を使うか自己流でいくかは、目的と現在地で変わります。今回のやり取りも、それに近いところがありました。
相手の覚悟を、そのまま自分の答えにはしませんでした。でも、その意見をもらったからこそ、自分がどこに覚悟を置いているかを言葉にできたんですよね。
相手から学びながら、自分はどうするかを考える。人の力を借りるって、そういうことでもあると思うんです。
人の意見には力があります。自分では気づけない視点をくれるし、考えるきっかけもくれます。
なので、僕は人の力は遠慮なく借りていいって思うんですよね。
でも、借りた力で自分の判断まで預けてしまったら、それはもう自分の答えじゃなく、借りっぱなしの力に自分が染まっていく、思考の軸がその相手に寄っていくだけになってしまうんですよ。
考えて、納得して、それでも自分の意見が変わることもあります。それは悪いことじゃありません。
大事なのは、意見を変えたか、曲げなかったかじゃなくて、その判断を自分でつくったかどうか。
誰だって自分が尊敬する、素敵やなって思える方の意見だからこそ、その意見の受け取り方には、これからも迷っていくかもしれませんけどね。
人から学ぶからこそ、自分で考えることをやめない。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

























