こんにちは。シオタニアキラ(@akiraaaaa_man)です。
僕は「自己肯定感」って言葉が、正直あんまり好きじゃないんですよね。
SNSで見かける使われ方が特に。
「そのままのあなたでいい」
「頑張らなくていい」
「できない自分も認めよう」
「逃げてもいい」
こういう言葉を見ていると、違和感があります。
「今の自分が最高到達点じゃないやろ」って思ってしまうんです。
もちろん、心理学の概念としての自己肯定感を否定したいわけではなくて。
本当に休んだ方がいい人も中にはいらっしゃいます。僕が引っかかるのは、その先です。
この綺麗な言葉が、頑張らない、怠ける、挑戦しない、変わろうとしない、逃げ続ける。そこまで全部「そのままでいい」で済ませて、自分に甘んじるための便利な言葉になってないか。
そこに違和感があるんですよ。
「ありのままでいい」って、いつまでそのままでいるん?
今の自分が完璧なはずはありません。
今の自分を認めることと、今の自分に満足することは、別の話です。
ここを混同すると、「ありのままでいい」が、変わらないための言い訳として都合よく使われはじめるじゃないですか。
「今のままでいい」
「無理しなくていい」
「そのままの自分を大切に」
こういう言葉、聞いているあいだは気持ちいいんですよね。しんどい時に、ふっと肩の力が抜ける感覚もあります。
しんどいときに休むための言葉だったはずが、いつの間にか動かないための言葉になってない?で、ありのままって、いつまでそのままでいるん。
向上心って、足りないものがあるから生まれるものだと僕は思っています。
もっと知りたい、もっとできるようになりたい、次はこうしたい、こういった感覚は、今の自分に足りないものを認めているからこそ出てくるものでしょ。
「ありのままの自分でいい」を、成長を止めるための免罪符にして、ぬるま湯みたいな生活をただ続けているだけなら、それは自己肯定感じゃなくて、ただの現状維持なんですよね。
僕は昔から「足りないもの」を見てしまう
ここまでけっこう強めに書きましたが、僕自身は逆のタイプで。
むしろ「不足」ばかり見てしまう人間です。
何か足りない、もっと足さないと、まだできることがあるんじゃないか…
こんなふうに考えがちで、正直これは行き過ぎることもあります。
自分を追い込みすぎたり、できていることまで過小評価したりする原因にもなっていて、必ずしもいい面だけではないですね。
ただ、この不足感があったから、「何が足りない?」「じゃあ何を足す?」「次に何をやる?」って考えて、学んだり挑戦したりしてきた面もあります。(やっぱりいいふうに言うてるやん)
だから僕は、「不足を感じること=自己否定」だとは考えずにむしろ、足りないものが見えるから、次に進めると思っています。
自己認識は、一人では難しい
自分のことは、自分だけでは意外とわからなくないですか?
僕みたいに不足ばかり見てしまう人もいれば、逆に自分を過大評価する人もいて。
どちらにしても、自分一人の物差しだけで自分を測ると、けっこうズレるものです。
だから僕は、第三者から継続的にフィードバックをもらうことが重要だと考えています。
「そこはまだできてない」
「前よりできるようになった」
「そこはお前の強みやで」
「苦手やって言うけど、実際できてるやん」
「それ、今逃げてない?」
こういう、他人から見た自分を何度も受け取って、「自分から見た自分×他人から見た自分」を照合しながら、自己認識の精度を少しずつ上げていくんです。
一度褒められて終わりじゃなくて、何度も更新していく作業です。
他人に自信をつけてもらいたいわけじゃなく、他人から見た自分を材料にして、自分で自分を判断できるようになりたい。そんなふうに考えてます。
「自信がない」を、勉強すれば埋まると思い込んでいる人も多いですが、原因が自己認識のズレにある場合、いくら勉強しても埋まりません。
これは発信の話として、別に一本書いています。
その結果、「俺ならやれる」と思える
自己認識の精度が上がってくると、見えてくるものがあります。
- 自分は何ができるのか
- 何ができないのか
- 何が得意なのか
- 何が足りないのか
- どこまで一人でできるのか
- どこから人に頼るべきなのか
これがある程度正確にわかった上で、「オレならやれる」と思えるかどうか。僕はこれを自己効力感だと捉えています。
これは、根拠なく「オレならできる」と思い込むポジティブ思考とは違います。
完璧じゃないし、足りないものもわかってるけど、それでも、オレならきっとやれる。
これを僕は、「自分への根拠のある信頼」と呼んでいます。
自分を好きだと思い込むことより、僕にはこっちの方が大事です。
何ができて、何ができないのか。それをわかった上で、自分を信用できるかですね。
「そのままでいい」と言ってくれる人だけが、優しいとは思わない
これは、僕が普段から考えている「深くて濃い人間関係」にもつながる話で。
最近よく思うのが、「安心できる場所」と「居心地のいい場所」は違う、ということです。
否定されない、褒めてもらえる、共感してもらえる、嫌なことを言われない。それだけなら、居心地はいいと思います。
でも、僕が考える本当に安心できる関係は、
「それ違うと思う」
「今、逃げてない?」
「もっとできるやろ」
ここまで言い合える関係です。
これは人格否定とは別の話で。
人としてまるごと否定してくる人と、行動や結果に対して率直に意見をくれる人は、まったく違うんですよ。
自分を肯定してくれる人だけを周りに置くことが、本当に自分を大切にすることなのか?僕はここに疑問を持っています。
自分を肯定してくれるだけの人より、自分をちゃんと見てくれる人。そういう関係が自己認識を深めて、結果として「オレならやれる」という感覚にもつながっていくと僕は考えています。
居心地の良さだけを追いかけると、それが逆に自分の成長のじゃまをすることもありますね。
完璧じゃない。だから、まだ伸びしろがある
今の自分を否定する必要はありませんが、今の自分に満足する必要もない。僕はそう思っています。
足りないものを知る。
↓
できることも知る。
↓
第三者からフィードバックをもらう。
↓
自分の認識と照合する。
↓
認識を修正する。
↓
行動する。
↓
また、フィードバックをもらう。
この繰り返しで、自己認識の精度は少しずつ上がっていきます。
その先にあるのが、完璧じゃないし、足りないところもわかってる、それでも、オレならやれる。
僕にとっての自信は、こういうものなんですよね。
もっと自分を好きになろう、でもない。もっと自分に厳しくしよう、でもない。
もっと正確に自分を知る。そのために、自分だけで自分を見ない。
僕が自己肯定感という言葉に感じていた違和感を掘っていった結果、ここにたどり着きました。
最後までお読みいただきありがとうございます。

























