こんにちは。シオタニアキラ(@akiraaaaa_man)です。
先日、Yahoo!ニュースでビル・ゲイツ氏がAIについて語った記事を見たんですが。
その中で僕が気になったのは、「AIは人間そのものを代替する」という指摘です。
AIによる雇用への影響だけじゃなく、AIへの依存によって人間関係が希薄になる可能性についても触れられていたんですね。
その記事を読んで、Threadsにもこんなことを書きました。
コメント欄に続きも書きました↓
書いた内容を思い出しながら、あらためて自分の中で考えを整理していきますね。
テーマは、AIがここまで発達した時代に、人間らしさってそもそも何なのか、ということです。
以前は「AIにはない人間らしさ」が大事だと思っていた
結論から言うと、以前の僕は、AIと人間を対比させて、人間らしさの価値をSNSでも記事でもよく語っていました。
AIが得意なことが増えれば増えるほど、感情や人間関係、コミュニケーションといった「AIにはないもの」の価値が相対的に上がっていく。
だから人間らしさを大事にしよう、という考え方です。
この考え自体は、いまも間違っているとは思っていません。
AIと信頼関係について書いた記事でも、似たようなことを書いてます。
ただ、当時の僕はどこかで、「AIにできること」と「人間にできること」を分けて考えて、その違いの中に人間らしさを見つけようとしていたなと。
いま振り返ると、それはまだAIを今ほど使っていなかったから、そう見えてただけだったのかもしれません。
AIを実際に使い倒したら、少し考えが変わった
いまの僕は、調査や情報整理、分析、構成、監査まで、以前は自分でやっていた作業をかなりAIに渡しています。
相談内容を整理してもらったり、資料の矛盾をチェックしてもらったり、例えばブログを書くときは読者に伝えたいメッセージをAIに先に僕から伝えた上で文章の構成を考えてもらったり。
正直、こんなに任せられるとは思っていませんでした。
このニュース記事を読んだ僕は、「AIに仕事を奪われる」という感覚より先に、意外にもまったく違う感覚があったんです。
それは、「人間がやらなくてもいい作業を、なんで自分は何時間もかけてやっていたんやろか」っていうもので。
誤解がないように書くと、これはAI礼賛の話ではないです。任せた分だけ楽になった、という単純な話でもなくて。
実際に使ってみて初めて、自分の中の問いそのものが変わったという話です。
「AIに何を奪われるか」ではなく「何を渡すか」
最近世間では、「AIに奪われない仕事」「AIにできないこと」「これから生き残るスキル」といった話をよく見かけるじゃないですか。
でも、それ自体を否定するつもりはなくて。参考になる話も、実際に多いと僕も思っていますし。
ただ、僕自身はいつのまにか、少し違う問いも持つようになっていたんです。
「AIに何を奪われるか」よりも、自分は何をAIに渡すのか。それによって空いた時間を、自分は何に使いたいのか。
こっちのほうが、僕にとってはずっと大事な問いになっています。
僕自身は、「奪われるかどうか」を考えるより、「何を渡すのか」を自分で決めるほうがしっくりきます。
そして、もうひとつ。
AIに渡したことで空いた時間を、自分は何に使いたいのか。今はそこまで含めてAIとの付き合い方なんじゃないかって思うんです。
僕は、人に使う時間を増やしたい
で、「じゃあお前(僕)はAIに渡した時間を何に使いたいんや?」ってことなんですが。
答えははっきりしていて、人に使う時間です。
人と会う。
話す。
相手を知る。
一緒に何かをする。
ごはんを食べる。
遊ぶ。
仕事の場面でも、ただ作業をこなす時間ではなく、相手そのものを見る時間を増やしたいんです。(と言いつつ、いまはブログを書いてますが)
これは、僕が発信や仕事でずっと大切にしてきた「深くて濃い人間関係」という価値観と、そのままつながっています。
効率化して浮いた時間を、さらに仕事を詰め込むために使うのだとしたら、なんのために効率化したのか分からなくなるでしょ。
空いた時間の使い道まで含めて考えるようになって、僕はようやく「AIを使うこと」と「どう生きたいか」がつながってきました。
信頼関係について書いた記事でも触れましたが、ここは僕の中でブレない部分だと思います。
「人間にしかできないこと」を探さなくてもいいのかもしれない
ここが、今回いちばん書き残しておきたいところです。また数年後、コロっと変わってるかもしれませんけど。
AIの進化のスピードを考えると、いま「これは人間にしかできない」と思っていることも、そのうちAIができるようになる可能性があります。
だとしたら、「AIにできないこと」イコール「人間の価値」と定義してしまうのは、けっこう危険だと思うんです。
その定義のままなら、AIが賢くなるたびに、人間の価値がじりじり削られていく話になってしまうでしょ。
そのうち「人間いらんやん」って話になりかねません。
たとえば、人と会話することも、AIはもうかなりできます。
相槌のタイミングも、話の広げ方も、下手な人間より上手なくらいで。
それでも僕は、人間と話したいと思っています。
理由は、AIにできないからではありません。
単純に、自分がそうしたいからです。
つまり、「人間にしかできないから人間がやる」のではなく、「自分が人間としてやりたいからやる」
この順番のほうが、しっくりくるようになりましたね。
AI時代に僕が人間に残したいもの
AIがこの先どこまで進化するのか、どこまでの仕事を代替できるようになるのか?正直、僕にはわかりません。ゲイツ氏の記事を読んでも、そこは誰にも断言できないところでしょう。
ただ、ひとつだけはっきりしていることがあって。
何をAIに任せるのか。浮いた時間を何に使うのか。誰と関わるのか。最後に何を選ぶのか。
ここは、今のところまだ自分で決められます。
Threadsにも書きましたが、僕の代わりにAIがビールを飲んで楽しそうに話していて、その間に僕が資料整理をしている未来は、正直、絶対にイヤですね。
「それは立場が逆やん」って思うんです。
資料整理はAIに渡していい。でも、ビールを飲みながら誰かと話す時間は、渡せません。
少なくとも、渡す・渡さないを自分の意思で選ぶことは、これからも手放したくないですね。
AI時代に人間に残すものって、「AIにはできないこと」だけじゃないんじゃないのか?
自分が人間としてやりたいことを、自分で選ぶこと。
今のところ、僕はそこに着地しています。
もちろん、この考えもまた、これから使い方が変わるにつれて更新されていくんでしょうけどね。
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AIと人間らしさについて、よくある質問
AIに奪われない仕事を探すこと自体は間違いなのでしょうか
間違いだとは思っていません。
生活や仕事を考えるうえで、現実的に必要な視点だと思います。
ただ、それだけで終わらせずに、「自分は何をAIに渡して、空いた時間を何に使いたいのか」まで考えてみると、また違う景色が見えてくるかもしれません。
AIを仕事にたくさん使うと、人間関係が薄くなりませんか
使い方次第だと思います。
僕の場合はむしろ逆で、調査や整理といった作業をAIに渡した分、人と話す時間や相手をちゃんと見る時間が増えてきていますし、意識もするようになりましたね。
AIに何を渡すかを自分で決めていれば、人間関係が薄くなる方向にも、濃くなる方向にも進めるんじゃないかと思っています。




























